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「お客様に必要なことを、瞬時に理解できるセラピストに」

【話題の人】
フランソワーズモリス 日本総代理店代表 宮本妙子氏
 エステティックという言葉もない1970年代から、宮本妙子氏は、東西の癒しのテクニックを研究、いち早く日本へ紹介してきた。以降、手技中心のエステティックの先駆けとして多くの技術者を輩出、様々な施設への導入を進めてきた。日本の美と健康ビジネスが低迷する今、宮本氏はどんな美容を広めようとしているのか。


エステティックの仕事に就いたきっかけは
 
 大阪で60年続く手技療法の本天狗という治療院で生まれ育ち、長く鍼灸、整骨、マッサージの世界を見てきて、自分には不向きだと思い込んでいました。それが大人になって少しずつ手伝うようになっていました。
 その内、夫が柔道整復師の資格を取得してこっちの世界に入ってしまい、気がつくと私もこの道に。子供の頃から見覚えた骨や筋肉の知識を役立てるなら、せめて美容分野のエステティックが良いかなと考えたのが始まりです。
 ニューヨークを始め各国で美容や健康の新しい施術やビジネスモデルを学び日本へ持ち帰りました。ヘルスケアという言葉もなかった時代に、大阪や東京のホテルへ次々導入していったのです。
フランスワーズモリスとの提携は転機に?
 
 それまではボディ施術を中心に提供してきて、フェイシャルを入れようと考えていた1988年頃、フランソワーズモリスがなんでも世界のトップで、しかもフランスの文部省公認の学校があると聞き、とにかくすぐに会いに行ったのです。
 当時の日本のエステティックでは美容機器が必須でしたが、フランソワーズモリスは違っていました。ボディ施術で育ってきた私は、その「肌の健康」を重視する考え方にすぐに共感することができました。クリームを使わない筋皮(きんぴ)マッサージというテクニックは、筋組織を柔らかくして血の流れを良くし、栄養や酸素を運ぶことが肌の健康にも欠かせないと教えてくれました。今までとは全く違うテクニックでしたが、私はこれで実際に乾燥肌が改善。すぐにモリスとの提携を決意したのです。
 1988年当時の日本のエステティックは、やっとブームになりかけていましたが、業界としてはまだ未成熟で、技術的にも混乱して問題やトラブルも多かった頃です。売上のためにとにかく沢山の化粧品を使えという風潮の中、私たちは、あくまで手技を追いかけようとしていました。
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宮本妙子氏
 東洋医学治療の草分け大阪道頓堀「本天狗治療院」に生まれる。東西の現代的な手法も取り入れ、ホテル、フィットネスクラブなどへ幅広く展開。現在、フランソワーズモリス 日本総代理店代表/アクセルソンスウェディッシュスクール代表。

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